〈映画評〉家族の欺瞞と不条理を暴く。映画「淵に立つ」。

映画「淵に立つ」は、主人公の信仰心が物語に大きく影響する、珍しい日本映画である。信仰をもつがゆえの無垢さと脆弱さが、ある闖入者によって露呈されていく。そのプロセスが恐ろしいほどだ。

小さな町工場を営む一家の前に、夫の昔の友人であった前科者の男が現われる。夫妻とひとり娘と男の奇妙な共同生活が始まるが、やがて男は残酷な爪痕を残して姿を消す。8年後、夫婦は皮肉な巡り合わせから男の消息をつかむが、そのことによってお互いに心の奥底に抱えてきた秘密があぶり出されていく……。

妻は、毎週教会に通う熱心なキリスト教信徒である。男の境遇に同情し、信仰の名のもとに「救わなくては」と気負い込む。最初は不倫めいた関係が、やがて日常に亀裂を走らせ、家族の平穏を打ち崩していく。妻を演じる筒井真理子の揺らぎが絶妙だ。

小津を頂点として、ホームドラマは日本映画のお家芸であった。秩序や倫理の基盤として、家族は大きな神話でもあったのだが、この映画は逆にその欺瞞や不条理を皮を剥ぐように暴いていく。どの家族にも、どの夫婦にもある不満や欲望、悪意が、見ている者にも突き刺さるのだ。では、あなたはまともなのか、と。贖罪のようなラストシーンは、この家族がようやく辿り着いた「救い」なのだろうか。

教会音楽のオルガンが重要なモチーフとなる。調和や規律のシンボルが、不協和音を奏でる時、われわれは人生の淵に立たされる。「人生に絶望する時の予行練習になるような、そんな映画を撮りたい」と深田晃司監督。お気軽に「家族の絆」を押しつけているだけの宗教には、とてもそんな力は持ち得ないだろう。カンヌ映画祭「ある視点」部門審査員賞受賞作。日仏合作。2016年。