〈映画評〉アニメにしか描けない戦争。映画「この世界の片隅に」

もはや日本映画において、戦争の時代を描くのはアニメーション以外にない。そう断言させるほど、映画「この世界の片隅に」には作り手の力が籠っている。

アニメといういわば超常的な手法で、徹底した調査と取材をもとに戦時下の日常を描く点が傑出している。緻密に再現された呉や広島の町並みから、モンペの仕立て方や楠公飯という飯炊きの細部まで、時代の感触が肌を通して伝わってくる。「この世界」を後世に伝えようとする並々ならぬ作家魂なのだろう。原作はこうの史代の同名漫画だ。

舞台は太平洋戦争中の広島。映画は、18歳のすずが、海軍都市・呉に嫁いで終戦を迎えるまでの日々を淡々と描く。戦場や殺戮はほとんど描かれない。女性たちは窮乏生活の中でも、食卓に知恵を絞ったし、オシャレも楽しんだ。男たちも家族思いで、誰かを罵ることも卑下することもない。少しぼうっとしたところのある主人公のキャラクターが愛おしさを増す。

呉は日本最大級の軍港都市である。そこへ戦艦大和が現れ、やがて空襲が始まり、艦載機の機銃掃射に逃げ惑う時、日常は一気に異常へと転移する。戦争という暴力によって、かけがえのない日々が奪われていくことの悲痛は、何よりも重い。原爆のきのこ雲の下では、すずの育った街が消えていったのだ。

片渕須直監督は綿密な時代考証を通して、戦時下のリアリティを再現した。だが、それは「世界を限定することではない」という。「逆にその世界が存在すると感じられ、見えている以外にあるものを、想像力で感じられるようになる」。それは、すでに遠くなりつつある時代を、現代まで地続きにとらえていく、アニメにだけ許された唯一の方法なのかもしれない。

余談ながら、本映画にはしばしば異界の住人たちが登場する。橋の上のバケモノ(人買い)、お盆に現れる座敷童、波間の白ウサギなど、戦前まではそんなふうに日常と非日常が隣り合わせにあったことを示唆していて興味深い。2016年、日本映画。