〈映画評〉「骨と禅」

「骨肉」とは中国語では肉親の意味だが、日本語では家族の諍いや争いの用法しかない。映画「骨と禅」は、禅僧となった日系アメリカ人の数奇な人生を、「骨肉」との関係の過去と現在を通して描く異色のドキュメンタリーだ。家族映画として秀逸である。
 
京都嵐山の天龍寺の一隅で暮らす青い目の禅僧ヘンリ・ミトワは、横浜でアメリカ人の父と新橋の芸者だった母の間に生まれた日系米国人である。戦前、米国に渡り、家族を持つが、戦中は敵性外国人として収容所生活を余儀なくされる。戦後日本に帰国して家族を呼び戻し、茶道や陶芸を経て、禅僧となる。晩年は童謡「赤い靴」をモチーフにした映画作りにも奔走するが、齢を重ねるごとに奇人ぶりは度を越していく。

名作「ゆきゆきて神軍」がそうであるように、ドキュメンタリーの華となる人物の魅力は秘めたる狂気であり殺意である。日本通の文化人という仮構を嘲笑い、どこまでも家族への悔恨と憧憬、憎悪と偏愛を剥き出しにしながら生き切る。生涯90数年の最晩年、道化のごとく映画製作などに没頭するが、妻子とは半ば絶縁状態のまま。次女はそんな父をカメラの前で平手打ちするのである。
 
ドラマやアニメパートのある映画構成もそうだが、その人生における虚実同居の際どさに惹かれる。数奇な上に、規律も脈絡もない生き方そのものが、酔狂を超えて風雅にさえ見えてくる。この老僧は、人生戯画を描く禅アーティストなのだ。
 
カメラは、ヘンリの最期から葬儀、収骨、納骨と喪のプロセスを追う。もっとも印象的な場面は、終盤近く天龍寺合同墓に本人と父母、兄たちの遺骨がひとまとめに合葬されるシーン。骨肉はかくして家族としてここに帰一するのである。
 
「どのような仕事であれ何かひとつのことを極めれば、どのような“道”であっても禅に繋がる」とある高僧は言う。禅の底知れなさを感じる。
 
凝りに凝った映像コラージュが面白い。ラストシーンの聖母観音像に度肝を抜かれる。中村高寛監督作品。

(2016年・日本映画)