フランス映画に登場する教室は、文字通り人種の坩堝である。異教徒たちの混沌と言い換えてもいい。映画「奇跡の授業 受け継ぐ者たちへ」の冒頭シーンも、スカーフを取らないイスラムの高校生と、それゆえ卒業証書を出そうとしない学校側の激しい口論から始まる。
貧困層が暮らすパリ郊外のある高校。様々な人種の生徒たちが集まる落ちこぼれクラスの担任に、歴史の女性教師が着任する。教師は、生徒たちに全国歴史コンクールに参加するよう提案するが、ナチスのホロコーストを扱う難解なテーマに生徒たちは反発する。教師はアウシュビッツで奇跡的に生き延びた証人を招き、生徒たちに壮絶な体験談を聞かせる。その日を境に生徒たちの姿勢が変わっていく。
仏国は多文化主義を否定して、厳格な同化政策をとった。ひとつの高校に29もの多民族が「同居」できるのは、全員が同じ仏語を共通言語としているからだが、それゆえに公的機関としての学校は無宗教でなくてはならない。冒頭シーンもそうだが、基本的アイデンティティや人権を学ぶはずの学校で、生徒たちは厳しい同調圧力に晒されることになる。イスラム国のテロが続発する仏国において、この映画はどのように見られたのだろうか。
映画の後半は、ナチスの人種差別問題と向き合って、生徒たちの一定の秩序をつくりだすように描かれている。歴史が現実の難問を解消するわけでもなかろうが、実話がベースということなので、これには言及しないでおこう。それより、授業で行われる教師と生徒の熱心な対話や協働ぶりは、近頃いわれるアクティブ・ラーニングを彷彿とさせ、興味深い。監督マリー・カスティーユ・マンシオン・シャール。2014年、仏映画。