薫習。ことばの香りを伝える。
(2024年10月25日 更新)
私は大蓮寺隣のパドマ幼稚園の理事長も務めていますが、先日あるベテランの先生から、こんな抱負を聞きました。
「子どもたちの手本となるような、やさしく、ていねいで、
正しい日本語の使用を心がけていきたい。先生同士の会話でも、
仲の良さだけでなく、正しいことば遣いを意識していきたい」
当たり前のことのようですが、これはなかなかむずかしい。子どもが相手だと、つい親しさが馴れ合いになったり、感情語に流されることも少なくありません。
ことばは生き物。たった一言のことばが相手を救うこともあれば、逆に一生の傷を負わせることもあります。正しいことばとはどうあればいいのか、仏教の話を引用して、私からこう先生たちに話しました。
仏教でも、ことばについての戒めが多くあります。十善戒の中に、ことばに関するものが4つもあるというのは、逆にいえば、お釈迦さまがことばのこわさを十分認識されていたからだと思います。ことばがけに対し、自覚的であり、抑制的であること。そういうことばのポイントとして、古い仏典には下記の5つを挙げています。
①そのことばは、時機がふさわしいか。
②そのことばは、慈しみに満ちているか。
③そのことばは、事実であるか。
④そのことばは、有益であるか。
⑤そのことばは、柔和であるか。
5つの心得のうち、一番最初が「柔和=やさしいこと」ではなく、「時機=タイミング」を挙げていることも興味深いと思いますが、ともあれ2500年も前から、人類はかくもことばを大切にしてきたわけです。今もなお、この問いかけは達成することがなく、続いています。奥深さを感じます。
また、もう一方で、仏教は「ことばに操られるな」と戒めます。「ことばに縛られるのではなく、ことばの本質を見よ」と。
「薫習(くんじゅう)」という言葉が、仏教の唯識にあります。「薫習」とは、布に香りが染み付くように、時間をかけて願いや思いが相手に伝わることです。幼児に対する、私たち大人のことばがけは、意味や情報の伝達だけが目的ではない。それよりももっと大切なものは、ことばの根底にある私たちの願い、思いがどれほど伝わっているか。ことばの上辺にとらわれて、「薫習の心」を忘れてはならないと教えてくれます。
「ありがとう。わたしは、あなたが大好き。」
そのシンプルなことばにこめられた、先生の願い、家族の思い。これは、何も幼稚園に限ったことではないはずです。
今日、あなたのことばから、近しいまわりの方々にどんな香りが届けられたでしょうか。
