スマホを止めよう。燈火親しむべし。

(2024年10月08日 更新)

27日からの読書週間は、終戦まもない昭和22年、「読書の力によって文化国家を作ろう」という志のもと始まりました。焼け野はらとなった日本で、「もう戦争は嫌だ」「子どもに良い教育を」という社会の空気が、空前の読書ブームをもたらしたのです。貪るように本を読んだという原体験をお持ちの方も多いと思います。

翻って現代、日本人の読書率は年々下がる一方です。文化庁の調査によると、1か月に本を1冊も「読まない」とした人が6割を超えているとか。街の小さな書店も姿を消していきます。

職場でも学校でも本を読むより、ネットを読む姿が圧倒的に多くなりました。「読む」行為に変わりはないと考えられますが、両者は決定的に違います。ベストセラー『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆著)によると、ネットは知りたいことを情報収集するには便利だが、読書のように「知りたいこと以外の文脈に出会う」経験がないとありました。私も昔から、黄色いマーカーを引きながら読む習慣がありますが、知らないことが次々出てくる読書は興味や関心の振り幅が大きく、それだけに集中力や読解力が必要とさらます。短文主義のスマホは、目的以外の文脈に出会うことは乏しい。私たちは、無意識に長文を読むことを避けているのかもしれません。

総じて現代は「知」が軽くなりました。大抵の知識はググれば出てくるし、配信ドラマもYouTubeも手際よく要約されているので、こちらは万事受け身です。近い将来、A Iが先生に取って代わると言われる時代、便利さやスピードが優先されていくほど、自分で考えたり、悩んだりすることも好まれなくなっているのかもしれません。そもそも「考える」とは不合理な経験なのです。

いや、「不合理」であるがゆえ読書は面白いといえるのではないでしょうか。迂回したり脱線したり、逆転したり等々、「これしかない」という価値観から、救われた経験はないでしょうか。読書にはさまざまな角度から自分の人生や考え方を見つめ直す意義があります。

今、最も本を読む世代は10代の学生たちです。70代以降は必ずしも多くないのですが、この世代は青年期の読書経験が浸透している世代ともいえます。思い込みや独りよがりが多くなりがちな高齢者ですから、読書を通して考え方を柔軟に、また自己修正できるよう工夫もできるのではないでしょうか。生活様式や時間感覚も若い頃とは違ってきます。昔読んだ本も読み返せば、別の味わいがあることでしょう。青年期とは違った読書スタイルがあっていいと思います。

昔から「燈火(灯火)親しむべし」といいます。秋の夜長、スマホを消して、じっくり本と向き合ってはいかがでしょうか。