新型コロナの感染。日常のおかげを知る。

(2020年03月24日 更新)

この数週間、人々が新型コロナという見えない恐怖におののき、普通の生活が困難となっていることにいささか驚きもしております。私の思うところを少し述べてみます。

イタリアのお話です。ご存知の通り、イタリアも深刻な事態に陥っており、日本同様、全学校が休校するなか、ある高校の校長先生が生徒に送ったメッセージが評判になっています(共同通信3月7日)。一部を抜粋します。

「学校とはリズムと慣習に則って、市民の秩序を学ぶ場所です。冷静さを保ち、集団のパニックに巻き込まれないこと。予防策を講じつつ、いつもの生活を続けて下さい。せっかくの休みですから、散歩したり、良質な本を読んでください。体調に問題がないなら、家に閉じこもる理由はありません」

テレビやネット情報は不安や危機感を煽ります。それが増幅器となって人々がパニックに陥り、社会生活や人間関係が荒廃していく様子は、ペストにおののいた中世の時代と大差ないように見えます。日本は世界一の医療国であるにもかかわらず、です。校長先生の言葉は、緊急時にこそ平常心が大事、日常が大事と説いているのです。

不安だけでなく、別の見方をしてみましょう。

身を案ずるような危機が迫ると、人は誰もが慎重になります。我が身を気遣いますが、同時に家族や親友に想いを致します。これほどていねいに手を洗ったことはなかったというほど、一つ一つの所作や行動が慎み深くなります。謙虚になります。ふだん当たり前に思っていたことが、実に大切なことで、ありがたい(有難い)と感じた人も多かったのではないでしょうか。

「外出禁止令」が出て、家族が全員家に揃って(お食事のお世話は大変ですが)、久しぶりに団欒に花が咲いたというおうちもあるかもしれません。

コロナのおかげなどというつもりはありませんが、外に危機が迫ると、私たちはありふれているが、忘れていた日常のおかげを知るのです。それは、念仏者が今日一日を生かされたことを感謝する、「日々是臨終なり」という安心(あんじん)の境地と同じといえましょう。

日常とは多くは習慣で成り立っています。1日は朝の起床に始まり、夜に就寝に終わります。おおよその生活時間は目安が決まっているように、一年にも決まった行事や習わしがあります。お彼岸はその最たるものでしょう。

今回のお彼岸、「縮小」のご案内を出して開催したのですが、私が思っていた以上に多くの檀信徒がお参りされました。有難く思うと同時に、皆さん、ご自分の日常を大切にされていることを強く感じました。今回はいつもとは違った趣きとなりましたが、これもまた忘れられないお彼岸となりそうです。

お彼岸を縮小すべきか悩んでいた頃、下の娘が「インターネットで法要を中継したらいい」と提案してくれました。今の若者は素早くそういう環境が作れるので感心しましたが、これもマイナスから生まれたプラスでしょう。大蓮寺初のYouTubeライブ中継が実現しました。

皆さまも、どうぞくれぐれも健康にご留意いただき、感染症に負けないよう努めてまいりましょう。

南無阿弥陀仏