大蓮寺創建470年。 現代の寺院のあり方を考える。

(2020年01月28日 更新)

 令和となって初の新年、当山は創建470年の佳辰を迎えます。天文19年(1550年)将軍足利義晴の三男坊晴誉上人の願によって建立され、以来古くから文教の寺院として名高く、明治には現在の天王寺高校等が当山より発祥、戦後は境内に直営のパドマ幼稚園を開園しました。近松門左衛門「曽根崎心中」など文芸作品の舞台としても親しまれてきました。

 大蓮寺は名宝を所蔵する古刹ではありません。全国に7万以上ある「まち寺」の一つに過ぎないのですが、檀信徒の皆さまのご理解ご協力のおかげで、仏教界に止まらずその名を知られるようになりました。塔頭應典院の活動もその大きな推進力です。

 社会の変化は著しく、お寺の存在も問われています。少子化に伴い、寺離れなどという言葉が囁かれる中、470年の節目はただメモリアルだけでなく、大蓮寺が生まれ変わる潮目を迎えていると感じます。
 
 浄土宗元祖法然上人も変革の人でした。イメージ的には温和で包摂力の大きいお人柄を思い浮かべますが、その思想や行動は極めて革新的であり、旧体制にとってラジカルな存在でもありました。

 それまで僧侶や貴族など特権階級の独占思想であった仏教を、在野に降りて市民に解放し、しかも口に念仏を称えるという誰でもできる易行をもって一気に普及せしめました。専修念仏の教えとは明らかに民衆運動の呼声だったのであり、日本の仏教史を転換させる変化の潮流でもあったのです。

 大蓮寺もまたその門葉として、伝統を守りつつ変化を恐れない寺として、今何をすべきか、この機に熟慮を重ねたいと思います。まずは本年五月の五重相伝の盛儀がその端緒となりますが、そこから始まる新たな取り組みに、この一年、どうぞご期待をいただきたいと念じています。