日本の伝統文化を愛した人。 ある京都人の最期。

(2019年03月06日 更新)

ある檀家さんの訃報を受けました。12月に体調を崩され、急速に悪化されての急逝でした。79歳。演劇評論家として知られるAさんです。

長く京都に暮らし、歌舞伎、能や狂言など古典芸能についての著作や、新聞、雑誌に寄稿しておられました。国立文楽劇場に観劇に来る折には、必ずお墓参りに立ち寄られ、「今から文楽なんですよ」とご挨拶をしたこともしばしばでした。何度か應典院の若者の演劇もご覧いただき、「若い人の芝居は楽しい」と笑っておられたのが印象に残っています。

評論家は必ず対象となる舞台に足を運ばねばなりません。日によって出来も違えば、同じ演目でも演者によって全く異なるものとなります。その都度、古典芸能の変化や成熟に立ち会いながら、半世紀にわたって、健筆をふるって来られたのです。

闘病中、最もこだわられたのが原稿執筆でした。病院と自宅を行ったり来たりする中も、パソコンを離さずベッドの上で書き続けました。古典ですから様々な資料に当たらなくてはなりません。「病室にいる時くらい休んでほしいのですが、あの資料は書斎の本棚のどこそこにあるから持ってきてくれ、というんです。最後まで原稿のことしか頭になかった」と奥様はふりかえります。右手が不自由になり、パソコンが打てなくなってからも、傍の息子さんに「口述筆記」をさせたといいます。

ご自宅から最後の入院となる日、Aさんの車は、歌舞伎の南座、母校の同志社大学、長く職場であった京都新聞、新婚生活を始めたアパートを巡ったそうです。車中で激しい痛みに耐えておられました。

「シートに沈むようにしていたのですが、それぞれの場所に通りかかると、頭を上げて、背筋が伸びて、目を見開いては当時の思い出を語ってくれました。父なりに最後の感謝を表していたのでしょう」

生前から五重相伝を結縁された信仰者Aさん、西村彰朗氏は1月21日に往生を遂げられました。京都を愛し、伝統文化を愛した作家の最期でした。