終活と宗活。対話で仏教を学ぶ。

(2019年02月18日 更新)

應典院にて、おてら宗活が開かれている(大蓮寺共催)。秋田光軌主幹(大蓮寺副住職)がメインで、幅広く仏教について話をする。研究者でもないが、普通の僧侶よりはるに勉強しているし、穏やかに伝わる話術もある。
一般にある仏教講座は、どうして権威的になりがちだ。本尊をバックにするとどうしても教条的(教えてあげる)になってしまうし、聴く方もありがたい話なんだからと構えてしまう。布教師の説教が押し付けがましく聞こえてしまうのは、仕方ないことだ。
應典院スタイルの特異は、多分このお寺だから可能なことでもあるのだが、対話式を取り入れている。先日の宗活塾も前半主幹が話し、後半はフロアからの意見や質問に答えていく(反応していく)スタイル。主幹の話もよかったが、それがちょうど良い導入になって参加者の問いが掘り起こされていく。体系化された講義を聴くという形より、それぞれの関心に寄り添いながら、仏教の大きな枠組みの中に着地するという塩梅だろうか。
「仏様に頼りすぎではないか」「どうしても信じられない」「既成仏教はサービス業ではないか」等々硬軟交えた質問が出てくる。質問の質ではない。内面に閉ざされていた「関心」や「疑問」が引き出されるということがすばらしい。皆、仏教を学びたがっているのだ。
「ルーツは同じなのに、いろんな宗派があるのはなぜ」という質問に対し、「お釈迦さまの仏教を学ばないと、いろんな宗派がある理由はわからない」と主幹がいったのは納得した。
お寺の終活は、宗活と表裏を成している。終活はにぎわうが、宗活はいつものお説教、ではもったいない。対話型がどこでもできるとは言わないが、宗活という限り、参加者の声を実直に聞き取るべきだろう。語るより聞く。聴く仏教のチャレンジだ。