遺品整理、という2度目のお葬式。

(2018年11月08日 更新)

好評おてら終活カフェ、第4回目は遺品整理がテーマだった。ゲストの屋宜明彦さんは、遺品整理、生前整理の専門家として、過去6000件の現場に望んできたという。
失礼ながら、昔この仕事を便利屋さん程度にしか考えていなかったのだが、数ある終活の仕事の中でも特異なポジションを占める。
終活はほとんどが「私の」生前準備のための1人称的なものなのだが、遺品整理は大切なひとの残した「モノ」と向き合うわけなので、人称が異なる。すでに相手の方はいないことが多いので、単純な2人称とも違う。「私」と「あなた」の間に浮かび上がる、1.5人称の語りが立ち上がる。特に「モノ語り」が重要な意味を持つ。
他人が見ればゴミ同然のものが、故人を想起させるかけがえのないものになる。屋宜さんによると、整理の際迷うのが人形と写真だそうだ。わかるような気がする。

興味深かったのが、思い出深いものでも整理しなくてはならない場合、屋宜さんはモノを供養して処分するという話。白い布で包む、お塩を上に乗せる、など、さまざまな「モノ」供養の作法?があるそうだ。これもモノに魂が宿るとする日本人の感性なのだろうか。現場の声はおもしろかった。

遺品整理は当然死後の作業なのだが、遺族にとってこれは2度目のお葬式なのかもしれない。本番の葬儀では急であわただしくゆっくり偲ぶこともできなかったが、こうして故人の住まいとモノを通して後々込み上げてくる感情は稀少なものだと思う。
遺品整理のスタッフは一見、整理屋さんにすぎないのだが、しかしおそらくモノと故人、または遺族の間を仲立ちして、そんなこころを引き出す名人なのだろう。