市民僧の10年。應典院主幹交代へ。

(2016年04月04日 更新)

3月24日の夜、應典院2代め山口洋典の退任式があった。山口の10年は應典院の10年である。リレー対談のラストに、3代め主幹秋田光軌が登場した。キレキレの2代めに比して、3代めは緩さが味わいだが、次の10年を任せることになる。

以下は当日のパンフレットの寄せた私の挨拶文、「市民僧の10年」。

應典院2代め主幹に、山口が就任して10年になる。当初から、10年を区切りとしていたので、今日をもってその役を後継へと譲る。

主幹就任の条件は、「浄土宗宗徒として得度すること」だった。20代の頃から、頭は抜群にキレたが、宗教者とはすなわち人格である。法然院で梶田真章貫主随喜のもと、恭しく得度式を行った。その日から、山口は、仏事に携わらない「市民僧」となったのである。

應典院が葬式をしない寺として存立したように、僧侶の役割も儀式やお参りだけではないはずだ。NPOの世界を切り拓いてきた山口だから、それまでになかった宗教者のポジションを見いだしてくれるに違いない。その願いを携えながら、スタッフを牽引してこの10年を走り抜いた。

3.11以降「宗教の社会貢献」「宗教とソーシャルキャピタル」「臨床宗教師」など、日本の宗教は大きな変容の渦中にあるが、そのうねりのひとつとして應典院が挙げられるかもしれない。だとしたら、それは「市民僧」山口の足跡とぴったり重なる。

10年をともに併走した人は多い。今日は時間を追いながら、6人の呼びかけ人が登場して山口とあの時・あの転機を語りあう。現場から言葉を紡ぎだす、異能の語り手という顔も山口の魅力である。今夜の終幕をぜひ見届けてほしい。

場と人と、そして言葉に恵まれて、應典院の10年は、まことに幸せな10年であったと思う。山口さん、ありがとう。南無阿弥陀仏。

 

呼びかけ人を代表して
3月24日
應典院住職 秋田光彦

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