猊下を仰ぐ。浄土宗平和賞受賞。

(2015年05月19日 更新)

 秘かに教団のアウトサイダーを自認してきたが、この日は自分がどっぷり教団人であることを自覚しないわけにはいかなかった。11日に浄土宗宗務庁であった浄土宗平和賞受賞式のことだ。

 その第7回受賞者に應典院寺町倶楽部が選ばれた。それはまたありがたいことなのだが、もっと恐縮したのは、その授賞式に伊藤唯真猊下が直々にお出ましになったことだ。猊下は浄土宗門主、総本山知恩院門跡、かつて佛教大学、京都文教大学長を歴任した一流の仏教学者でもある。

 

 2010年に猊下が就任された折の言葉が鮮烈だった。

 「寺、念仏の縁をもって血縁・地縁の崩壊を阻み、また再生することで、現代の無縁社会を、真に互恵的な、よろこびあう社会に変えていかねばならない」

 当時80歳を迎えた猊下が、ご垂示の中で現実社会に向いて真正面から発言をする。じつは翌年が百年に一度の法然上人800年遠忌の記念事業が計画されていたが、3月の東日本大震災発生後、即座にそれらの中止を決断されたのも猊下である。

 2012年、教団人と大勢のNPO関係者が集まった共生地域文化大賞の特別講話では、地域社会の「縁側」としての寺の役割を取り上げ、NPOなど「志縁」のネットワークにふれられた。しめくくりの、こんな言葉に、私は震えたものだ。

 「絶縁化する人々に対して、宗教・宗派を超えて、自利利他やヒューマニズムといった共通の精神を基にした連携のもと、支援される側とおなじ目線に立って働きかけることこそこれからの社会の一条の光となるだろう」

 門主と推戴される方の見識の高さはどなたも同じだろうが、信仰の象徴たる人物が、これほど宗教・寺の役割を的確に指摘されるのに、私は頭が下がった。誰かが下原稿を用意したのではない。明らかに猊下ご自身から発せられる言葉なのだ。

 

 この日、7回目にして初めて猊下にお出ましいただくこととなったそうで、会場は軽い高揚感が占めていた。緋の衣を召された猊下は、伴僧2名を従えて出仕され、私たちに賞状とレリーフを授けて、その後、こう述べられた。

 「(秋田は)應典院を開かれた寺にした。寺にあって寺にとどまらず、そして寺を出て寺を離れず、という活動をしてきた。多くの人と手を取り合い、應典院を中心に新しい文化圏を開拓されることを尽くした」

 84歳となられる猊下は、これを手元原稿もなしで澱みなく語られる。いわゆるご褒美的な祝辞とは異なる。僭越な言い方だが、仏教民俗学の泰斗として、地域と寺という相関関係をとらえてきた学究者の関心を寄せていただいているのだとしたら、これ以上の名誉はない。

 われわれ教団人を結束させるものは、もちろん宗祖であり、法脈であるのだが、またかような猊下を仰ぐことで、文字通り現代の門弟として自覚と決意を新たにすることができる。猊下いればこそ、と私でも、そんなふうに思うのである。

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