ひとつのお寺にできること。ポータルサイト「まいてら」参加にあたって。

(2017年01月31日 更新)

「お寺の未来」のポータルサイト「まいてら」に参加することにした。そう釈徹宗先生に話したら「えー、あれは若い人たちのサイトじゃないの」と驚かれてしまった。
確かにデザインといいコンテンツといい、洗練され過ぎていて、今の檀信徒向きとは言い難い。「次世代檀信徒」がターゲットだ、と説明も受けた。未来志向もいいだろう。しかし、個人的にはそれ以上の関心が尽きない。

「まいてら」に参加したのはいくつか理由がある。
寺の発信力のリソースとして、感度の高いポータルサイトは大切だし、一定の評価軸で「選ばれた寺院」(好ましい言い方ではないが)であることの意識や自覚は、活動の公共性や責任性を高めていくと感じたからだ。
いや、それ以上に私が関心を持っているのは、こういうポータルサイトがなせ必要とされているのか、その背景と今後の行方にある。
仏教のポータルサイトといえば、宗派のものがメインで、あとは「墓」や「葬儀」」で括るしかなかった。同宗もしくは同業種であること以外、多くの寺院を編成するカテゴリーがなかったのだ。
 
お寺の未来は2012年発足以来、宗派や地域を越えた、若い世代を中心に仏教寺院のネットワークを作ってきた。通仏教的といわれる横断組織はこれまでもあったが、多くは連絡協議会の域を出ていない。彼らが画期なのは、そこに「ミッション」や「マネジメント」という新たな価値観を盛り込んで、責任意識を高めたことにある。
詳しくは書かないが、そういう長い助走があって、「まいてら」の評価制度が受け容れられたのだろう。「安心のお寺10ヶ条」に基づく審査は、どこのお寺でも適合できるものではない。理念や指針的なものは当然だが、経営や財務状況、法事や葬儀の増減まで、「書類提出」しなくてはならない。正直なところ、私も自坊の収支を役所と身内以外に開示したことは過去なかった。

「まいてら」は得意のネット展開を進めていくのだが、それによって「期待される成果」は以下の4点を挙げている。
1.檀信徒(特に次世代檀信徒)の菩提寺への理解醸成
2.新たな方とのご縁結びの促進
3.自坊の社会的信用力の向上
4.自坊の良さの継続的な磨き上げ
寺の実利でいえば、(2)が最大の関心だろう。檀家拡大、墓地・葬儀の件数アップという意気込みも否定しない。
ただ私が多少の懸念とともに関心を払うのは、むしろ(3)(4)である。言い換えれば、従来の信用の源泉であった「宗派」とか「歴史」とか、「家」に象徴される伝統力が退行して、新たに「信用のブランド化」を試みなくてはならないという状況についてだ。
護送船団方式でやってきた教団や宗派に対する、個々の寺のある種のカウンターといってもいい。それは、危機的予兆なのか、逆に変化のさざなみなのか。

少し未来予測めくが、ふとこんなことを感じたりする。
例えば、教団という基盤が後景化して、限りなく存在感が薄れていくことでもあるだろう。強烈な力を持った個寺が結集すれば、それまでの教団ヒエラルキーは通用しなくなるかもしれない。いや、最悪の場合、教団に属するメリットが見られないと単立化していく個寺が出て来ても不思議ではない。
つぎに個寺の競争化が始まるのかもしれない。インターネットの時代、檀信徒は(もはや檀信徒という概念なのかどうかも不明だが)地縁的な所属ではなく、寺のミッションや住職の指向性によって再編されていく。墓という「縛り」がなくなれば、「なぜ私はこのお寺を選ぶのか」という所属についての理由づけや説明が生じる。
むろん、それはイオンの会員とは訳が違う。ある種のミッション共同体として、その個寺が何を目指し、何を実現していこうとしているのか、別の意味で「社会的信用力」が問われるのはないだろうか。

別の角度からいえば、教団はそういう個寺の動きをどう捉えるのだろうか。当初は区別意識や忌避感情が起きるかもしれない。しかし、そこから少なくとも従来の教団の一元管理にもたれない、オルタナティブな選択の余地が生まれるのではないか。それは教団の縮小なのか、転換なのか。いずれにせよ、その存在理由が問われることになる。
むろんそんな変異を起こすために「まいてら」が生まれたわけではない。まずは地道な関係性を各個寺とどう紡ぐのか、そちらを最優先すべきだろう。各寺院が結集すれば、やがて次世代檀信徒の共同開発にあたることもできるかもしれない。
 
しかし、高度な消費と情報社会は凄まじい勢いで寺院仏教を浸食しており、それが「まいてら」寺院だけを例外視することにはならない。あるいは寺院格差や貧困問題など、寺院仏教が抱える難問を、「まいてら」寺院でないから、と思考外に置くこともできない。図らずも「まいてら」が、それらに対する応答の役割を担うことにならないとも限らない。
教団仏教に時代のスピードに適う意思決定力は望めない。個々の寺院が多様化を繰り返す現状に対し、(失礼ながら)全仏や宗門に適正な評価能力があるとも思えない。かといって、個寺が孤軍奮闘しているだけでは、「がんばっているお寺さん」で終ってしまう。

「まいてら」の戦略を私は知らないが、そういう大きな転換図を下絵にして、(4)「自坊の良さの継続的な磨き上げ」は段階的に成り立っていくのだと思う。これからに注目しよう。

【まいてらのウエブサイト】http://mytera.jp/