光る棺

(2016年04月29日 更新)

今日の葬儀の式場は、都心のマンションの一室だった。一戸建ての自宅葬の経験はあるが、高層の共同住宅では初めての導師だった。葬儀社からは「ほんの4、5人、家族だけですから」と聞いていたが、行くと友人やらお隣さんやら15人ほどが集まっていた。マンションの狭い玄関には、靴が積み上げられていた。

まだ70代半ばの母親を、一緒に住んでいた娘が看取った。年明けからずっとこの部屋で闘病が続いたという。最後まで自宅で。母の願いを娘が実現させたのだろう。

僧侶は私ひとり。通夜から葬儀といつも通りに進んでいったが、小さな違和感は拭えなかった。室内は白い浄域に作り替えられてはいるが、ここは人が食事をして、寝て、くつろぐための自宅なのだ。テレビや冷蔵庫、キッチンまでが、あまりに生々しい。私が通された控室は、食器棚と収納型の物干台が占領していて、そこで縮こまって衣を着替えた。

 

式が終わって、出棺となった。ストレッチャーで部屋から通路へ出て、それからエレベーターに乗せて、一階へ降りる。このあたりは大阪でも有数の繁華な場所である。住民の目線が集まる。外出から帰宅してきた中年夫婦と、玄関で鉢合わせになったが、二人は一瞬たじろぎつつ、そのまま軽く頭を垂れた。

「スロープを降りますと、タクシーがお待ちしております」

葬儀社の指示の通り、棺と一緒に坂を下りる。マンション一階は飲食のテナントがあって、昼定食やらファーストフードの看板が目に入る。その隣りは貴金属、隣りはマッサージ……棺は、そういう光景の中をしずしずと進んで行くのだ。

マンションの向かいには、大手予備校があって、授業が終わったのだろうか、3人の女子が快活な笑顔で棺の向こう側を通っていく。霊柩車は白いセダン。手前に喪服の一団。昼間の透明な光があたりを照らし、不思議なコントラストが際立った。都市の中で、生と死が交感する瞬間というのは、こういう時をいうのだろうか。

 

さっき室内の違和感と述べたが、違和とはけっして不快だという意味ではない。小さなシステムに納まった業者の家族葬に馴染んでしまうと、本当の家族葬に出会って逆に戸惑いを感じている私がいる。会館での恭しい出棺は、丁寧かもしれないが、見事なまでに生活臭は除去されている。葬儀とは、確かにその人が生きた、暮らした場所、まちとの別れの儀式なのではないか。

今日の大阪は、初夏のような日差しだった。自然光の輝きは、美しい。棺の白が光って見えたのは、それを浴びていたからだろうか。