ことばが光る幼稚園。意味を感得する。

(2016年02月26日 更新)

今年春から始めた幼稚園玄関の聖句シリーズが17点となり、恥ずかしながら全部を園舎入り口に掲示することにした。わが拙筆ぶりは棚上げするが、一つひとつのことばに改めて当時を思い起こさせるものがある。ことばは、その時々の記憶と分ちがたく連鎖している。

幼稚園の教室の中にも、たくさんのことばが貼り出されている。黒板には音読の詩や俳句が並んでいるが、側壁面には「今学期の学年目標」も掲示されている。例えば「信頼」とか「規律」「協力」…。パドマ幼稚園では、ことばがあちらこちらで光っている。

幼稚園の担任の教師が子どもに語りかける場面は幾度もある。もちろん活動における励ましであったり、生活上の教えである場合も多いのだが、もっともたいせつな語りは、人間の普遍的な価値についてである。いや、そんな難しいことばを使うわけではないが、園内で起きるさまざまな行い、ふるまいについて、それが何を意味しているのか、を語りかけるのだ。

例えば4月当初に掲げられた「信頼」ということばは初々しいが、まだ実感には遠い。しかし年度が終わろうとしている今頃、「信頼」に出会うと、まさにことばが身体に入る。それは1年間の園生活を通して「信頼」という意味をみんなで積み重ねてきたからといえるだろう。担任は明かすのでもなく、諭すのでもなく、ただクラスの仲間のひとりとして、ここで育んできた「信頼」のよろこびを語りかけるのである。極めて体験的に、また共感的に。

辞書に開けばことばの意味は不変だが、本当のことばは環境や体験の中で意味の質量を高めていく。幼児教育において、意味はわかるのではなく、感得するものなのだ。

来週は卒業式。別れの日を迎える。若い教師は子どもたちに何を語るのだろう。そして子どもたちの心には、どんなことばの萌芽が息吹くのだろう。今からそれが、楽しみなのである。

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