臨床宗教師。「人材」としての宗教者を考える。

(2015年11月05日 更新)

 今月から大垣市の沼口医院の共同住宅に、臨床宗教師が常駐することになった。患者の心のケアに日常的に宗教者があたる。医療と介護、そして宗教が協働する画期的なケースの誕生だ。

 

 臨床宗教師はもとから「師」という個人の宗教的人格を前提としている。メタな教理として臨床宗教を目指すのではない。ベタにいえば「人材養成」プログラムなのだが、その評価は人材をどう社会で活かせるかにかかっている。

 以前参加した関西臨床宗教師フォーラム(写真)でも、私がいちばん注目したのは、臨床宗教師の雇用の現状である。すでに講座開始以来3年、114人の修了生を送り出しているが彼らが、皆故郷の自坊へ戻ったわけではない。発表では、沼口医院も含め全国の緩和ケア病棟や老人福祉施設などで活躍している実態が明らかにされた。20代の若い僧侶が、特養で傾聴に従事している。終末期ケアだけではないのだ。

 

 これまで宗教者の「雇用先」は、自坊以外に大寺の役僧くらいしかなかった。喰えない僧侶が、派遣に走り「アパマン僧侶」と揶揄されたものだ。

 臨床宗教師は一気に宗教者の「雇用先」を拡げようとしている。最初からそういう出口を前提にして講座を受講する者もいるというが、これまでの「雇用状況」が転換する画期ではないか。

 高度な専門性を持ちながら、仕事や雇用先に欠き、在野に埋もれる人材は多い。臨床宗教師は、まだまだ社会認知に乏しい。大学側にはまず能力を担保する資格制度が必要だろうし、ブラッシュアップも欠かせない。また、雇用側にもその理解や活用について、お任せではない連携の可能性を掘り下げていかなくてはならない。現状はまだ試行錯誤の段階かもしれないが、そこから新たな宗教者個人の「職能」が立ち現れる。また恒常的な現場だからこそ、医療・福祉との持続的な対話が生まれる。そういう大きな可能性を秘めている。

 

 一方で、果たして医療・福祉、とりわけ施設従事だけが、臨床宗教師の雇用目的ではないと思う。

 まずそういう要請や合意が大きいのは理解できるが、臨床宗教師が既存の制度やシステムに追従しているだけではつまらない。緩和医療のひとつのパートに陥ってはならないとも思う。

 むろん、それも含め公共空間における試行錯誤として理解できるのだが、私が考える臨床宗教師とは、既存のシステムに帰属するだけのものではない。それが紡ぎ出す関係性がふさわしい舞台は、施設より生活の現場である地域である。在宅死が微増傾向にあるが、そういった地域における傾聴や看取り、あるいは死生教育などがこれからの「雇用先」ではないか。地域包括ケアシステムが動き出した今、コミュニティケアこそ活躍の場だと思う。

 いや、地域を現場としてとらえるならば、医療福祉の領域に閉じこもることは、わるくいうと臨床宗教師の役割を「特権化」することにならないか。日本には専門家信仰があって、パターナリズムを生み、ある種の権力の土壌となってきた。臨床宗教師は、むしろ地域に開かれて、医療・福祉をはじめ、教育や環境、あるいは芸術文化などとも横断的につながる「スピリチュアルケアの架橋」の役を担ってほしいと願う。

 それは「雇用市場」などという状況をかけ離れ、宗教者が本来備えている地域資源の力を発揮することではないか。

 

 以上は東北大学実践宗教学寄付講座のニューズレターへ寄稿した文の抜粋である(一部改変)。本文は以下を参照してほしい。

http://www.sal.tohoku.ac.jp/p-religion/NL08.pdf

rinsho