お仏飯のお返し

(2014年09月27日 更新)

今日、祥月命日のお詣りに、檀家宅を訪ねた。私より年若い主人が迎えてくれたのだが、彼は会うなり「本当にお父様には、お世話になりました」と恭しく頭を下げた。

「父の時も母の時も、ご先代には立派にお葬式を出していただいて。感謝しております」

両親は二十数年前、恐らく彼が三十代そこそこの時、亡くなっているが、その頃の住職、つまり葬式の導師を務めた私の父へ深い謝意を表すのである。「立派にお葬式を…」というのは、殊更に何かが特別であったということではない。導師としての先代を、逝った父母も、そして送った彼も、心から敬慕していたということなのだろう。

父から格別に教諭された自覚はない。どちらかといえば、実務家としての能力が高かったので、進んで説教されたというような記憶も乏しい。寺も、幼稚園も、ある時代からはそれなりに父のブレーンの役を担っているという自負もあった。

そんな父が残してくれた言葉でいちばん印象にあるのは、一緒に仕事をするようになる以前、まだ私が二十代で、寺の世襲を嫌って、東京に出奔していた頃のことだ。

寺の跡取り息子なんて嫌だ、自分の実力で勝負したい、と浮沈の激しい映画業界で、もがくように生きていたのだが、当然お金に欠く。当時、五十代の父は保育関係の団体の仕事の関係で、しばしば上京しては電話をくれたのだが、私には無心をねだる口実にもなった。

ふたりでどんな話を交わしたのか、あまり記憶はない。「早く寺に帰って来い」「お前は長男だ、大蓮寺の跡取りだ」と何度も繰り返された説得に、どう抗うか、そんなことしか考えていなかったような気がする。

ところが、その日の父は居住まいを正し、こう言ったのである。

「お前ももう三十に近い。自分の人生は自分で決めなさい。あれこれ指図はしない」

その気のない息子に、父は半ば諦めたようでもあった。

「しかし、これだけは覚えておいてほしい……

「われわれ檀家のお仏飯で生かさせていただいた者は、後半人生、何をもってお返しするのか、それだけはよく考えてほしい」

お仏飯とは、わかりやすく言えば「無名の厚意」といってもいい。生産も消費もない、まったく世間とは違う価値世界の中で、「生きている」のではなく「生かされている」存在。それが寺に住まうわれわれだと。

何かに交換されるのではなく、損得を勘定するのでもなく、ただ一方的に捧げられる厚意。それにお前はこれからどう応えるのか、と父は問おうとしたのかもしれない。

あるかどうかもわからない才能を振りかざし、生き馬の目を抜くような世界で突っ張っていた私の胸に,この言葉は染みた。いや、自分の限界に気づかされたといってもいい。ああ、私には帰るところがある。まだぼんやりではあったが、初めて帰郷の念を抱かせた、父の言葉であった。

じつは二十代の私には、「お仏飯」の本当の意味はわかっておらず、いま当時の父と同じような年齢になって、ようやく実感できることがある。

くどくどそれを説明しないが、冒頭の檀家の「立派なお葬式を…」という言葉は、たぶんその「お仏飯のお返し」に生きた父への敬意でもあり、称賛でもあったのだろう。それは、ほとんど類型化はできないが、だからこそその人ひとりひとりのお返しがあるのだもと思う。

さて、私はその「お返し」ができているのだろうか。そう尋ねようとしても、当の父は、すでにいない。