映画評「母の身終い」

若い米国人女性が安楽死を予告実施して、論争が起きている。日本人には「安楽死」「尊厳死」の違いもよくわからない。映画「母の身終い」は、その本質を抉り出す作品だ。

未曾有の単身時代である。ひとり暮らしの高齢者がすでに500万人を超え、20年後には762万人になるという。いったいそれだけの人生の終末を誰が看取り、誰が弔うのか。日本の超高齢化社会が直面する難題である。
フランス映画「母の身終い」は、ひとり住まいの母の家に、出所したばかりのダメ息子が身を寄せるところから始まる。平穏に人生の晩年を過ごしたい老母と、何とか人生をやり直したいともがく中年の息子。しかし、ふたりの間には長年にわたる確執があり、簡単には和解できない。ある日、息子は、母親の引き出しから、自署された「尊厳死の意思表明書」を発見する。母は脳腫瘍で、すでに終末期診断を受けていたのだ。
母子葛藤のドラマもよくできているのだが、圧倒されるのは、「尊厳死」の扱いだ。
母親は医師から最終宣告を受け、緩和医療を勧められるのだが、強い意志で「尊厳死」を選択する。フランスでは禁止されているので、母子は遠くスイスにまで出かけなくてはならないのだが、それを仲介し支援するNPOも登場して、逡巡させない。瀟洒な山上ホテルのような施設に到着したその日に、致死量の毒薬を服用して、母親は思いを果たすのである。
日本でいう「尊厳死」とはイメージは程遠い。自殺幇助にしか見えないのだが、欧米では「安楽死」もまた患者の権利なのであろう。それを下支えしているのは、強烈な「個」の意識である。実の子どもであれ、自分の人生に介入させないという、自存の感覚がみなぎる。「あなたの人生は幸せでしたか」という問いに、母親はひと言、「人生は人生ですから」とだけ答えるのである。
映画では、宗教的なものにすがる気配も見られない。ただ食事や掃除、愛犬とのふれあいなど毎日の些事を湛然に描くのだが、死に向かう決意がそんな日常から垣間見える。ひとり暮らしを生きる母親の凄み。日本の終活ブームが、瑣末に見えてならない。2013年、フランス映画。

(付記)安楽死で処方される薬代は300ドル(約3万円)と安価で、長期に及ぶ医療費に比べ破格に安い。アメリカでは、高騰する医療費を削減しようと自殺を促す風潮が強まっているという指摘もあり、慄然とする

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大蓮寺住職、應典院代表

秋田 光彦

1955年大阪市生まれ。

明治大学文学部演劇学科卒業後、東京の情報誌「ぴあ」に入社し、主に映画祭の企画・宣伝を担当。退社後、映画制作会社を設立、1997年に劇場型寺院應典院を再建。

以後10数年間にわたって、市民、コミュニティ、地域資源のあり方を具体的に提案し、実践し、市民活動や若者の芸術活動を支援してきた。また、人生の末期を支援するエンディングサポートをNPOと協働して取り組むなど、「協働」と「対話」の新しい地域教育にかかわる。パドマ幼稚園園長、総合幼児教育研究会代表理事、相愛大学客員教授など兼務。まちづくりからコミュニティシネマまで活動範囲は幅広い。