市民による教育と学習 芸術による「市民知」の創造

1.劇場型寺院・應典院の活動
 大阪文化の発祥地、都心の上町台地の一角に、97年4月、劇場型寺院・應典院を新築、多くのNPOや芸術家と協働しながら、市民文化の創造・支援をつづけて、すでに7年が経過しようとしている。従来の仏事センターとしてのお寺の役割から大幅に転換して、市民が参加、体験、表現のできる、新しい「学び」の場として活動を展開している。
 140人収容の小劇場型の本堂、セミナルームやオープンギャラリーなどユニークな外観に加え、そこで発信される「学び」のプログラムの多くが、應典院の自主事業、あるいは他のNPOとの協働事業として提供されているのが特徴だ。應典院は場所や機会を、NPOは人材やプログラムを相互に提供しながら、日本初のお寺とNPOのパートナーシップが定着しつつある。
 参加者の大半は若い世代なので、「学び」の形態も多様であり、講演会、セミナー、ワークショップ、カウンセリング等々、場を選ばない。とりわけ應典院ならではの「学び」に、アートワークス(芸術による学習)があり、演劇や現代美術などの手法を用いながら、学校では学べない「市民知」の育成に努めている。さまざまな場を通して、この應典院に参加する若者は、1年間に約3万人。扱うテーマはそれぞれだが、こからつぎのまちの担い手たる市民を送り出そうという意気込みは強い。

1.市民社会と学び
 右上がり成長の時代、教育といえば学校がシンボルであり、東大を頂点とする人材供給システムが全国津々浦々まで整備されてきた。しかし、90年代、慢性的な低成長時代を迎え、失業率の増大や雇用不安など、これまでの日本の安定基盤が壊れ、それとともにこれを下支えしてきた学校神話も崩壊した。95年の阪神淡路大震災を契機に、日本は本格的な市民社会に入ったといわれるが、同時にこれを分岐点としながら教育の軸足は集団的人材育成システムから個人の自己実現、社会参加にシフトした。自立した主体的個人を市民と呼ぶが、「教育」に代わって「学び」という言葉が浮上するのも、この市民社会の到来と無縁ではない。
 これまでの教育システム、とりわけ成人を対象とした教育環境は、市民の「学び」の観点からはけっして恵まれたものではなかった。行政サービスとしての社会教育も、平等原則に縛られて、思い切った人材育成に結びつかない。最近でこそ大学が社会人対象に門戸を開き始めたが、市民の「学び」は、教育システムの主流からは長く見過ごされてきたのである。
 それを大きく転換したのが、80年代後半以降、新たな社会問題へのアプローチとして、「市民知」の創造が世界中で問われたことだろう。人権や環境、国際理解、多文化共生など、明快な解決策が見当たらない複雑な問題だからこそ、これまでの権威依存ではない、当事者たちによる「学び」が広く求められたのである。以後ワークショップ、参加型学習といわれる新たな「学び」のスタイルも生まれ、学び手である市民自らが「学び」の場を創造するインタラクティブな活動が普及していく。市民とは、上から知識をいただくような受身的な存在ではない。問題の現場に参加して、さまざまな協働を通して、いっしょに経験や知恵を出し学びあう。市民自らが学び、体得した「市民知」は,以後さまざまな局面で社会変革を促し、NPOやNGOといった自律的な学習組織を生むことになる。
 多様な個性を持つNPOだが、どんな領域の活動であれ、そのミッションを、また現状を広く社会に伝えるために、開発的な市民教育を行わなうことは必然といえる。地域に根ざした活動であればなおさら、「市民知」からとらえたまちの問題が大きくクローズアップされることになる。
 上から下への関係ではなく、水平的で相互的な「学び」は、日本の教育の構造を根本から変えた。またそれは、自分たちの暮らす地域を、「市民知」から見つめなおす大きな転機ともなったのだ。

1.まちづくりと学び
 2000年代に入り、都市と地域の乖離はさらに著しい様相を呈している。最近、都心に次々とテーマパークのような巨大開発が登場しているが、壁のようにそそり立つそれらの空間は、周囲のまちと断絶され、いっそうの自閉化を深めている。地域との共生を置き去りにした、「都市再生」のイメージが全国各地に拡大再生産されてゆく。
 都心の居住地区もまた、それと無関係ではない。應典院の位置する上町台地は、大阪屈指の文教地区だが、ここ数年、異常なマンションの建設ラッシュが続いている。都心回帰などともてはやされているが、どのマンションも玄関からオートロックの完全密閉の空間であり、最初から周囲のまちや景観とかかわりあうことを拒否しているかのようである。合理化とは機能と効率を一元化することで高められるが、それはまちの視点から言えば、新たな出会いも参加もない、他者に対し極めて無関心なコミュニティを作り上げることと同義なのである。
 むろん、その危機的な変貌ぶりにまちの住民たちが無関心であるわけではないが、都心の空洞化を前に、現状を追認せざるを得ないのが実情だろう。既存の住民組織が全部そうだというつもりはないが、「学び」を失うと、まちは現状への批判力を失っていく。
一方で、新しい「学び」によるまちづくりも始まっている。
同じく上町台地の一角に、空堀地区という、戦前から残る長屋街があるが、ここでは地元の住民と新しい住民のNPOがいっしょになって、ユニークなまちづくりが進んでいる。解体寸前の長屋をNPOの面々が借り受け、新しい住まい手に対する提案や紹介を行ったり、大規模な長屋には若い起業家たちに呼びかけて、複合ショップが立ち上がるなど多彩な事業が進捗している。からほり倶楽部というNPOの代表は、40代の若い建築家。彼を中心に、不動産や住宅、店舗にかかわる専門家が参画し、これまでの住民組織とは明らかに違う、新しい「まち」の担い手となりつつある。まちづくりに市民の専門性や提案力が活かされた好例といえるだろう。そして、そのプロセスにおいて、立場や世代、価値観の異なる、しかしまちへの思いを共有した、新旧の住民による「学び」があったことを見逃してはならない。
 まちづくりの担い手を、行政や専門家に頼ってきた時代は終わった。大規模な開発ではなく、地域の身近な文化や景観、環境などを契機に、まちづくりにかかわる、新しい担い手が登場しつつある。それは自分たちのまちを、旧来の権益や政治の力学ではなく、「市民知」で見つめなおした、地域のグローバル化ともいえる。「学び」を通して、地域を再発見・再評価しながら、そこを舞台に人間の自発的な関係性を結び直す。豊富な情報を持ち、専門性と提案力のあるNPOが活躍することで、地域の自己決定も促進されてゆくことだろう。
 「市民知」は、知的で能動的で開放的な交流をくりかえし重ねながら、まちの責任主体としての存在を形成してゆくのである。

1.芸術で人材を育てる
「市民知」を生み出した、「学び」の実例をひとつ紹介したい。
 市民の「学び」には異質の出会いが不可欠であるが、應典院では、芸術文化を用いた人づくり、まちづくりの実践を試みている。
 芸術は、日本ではごく限られたファンのためのものと考えられてきたが、本来芸術の可能性とは、劇場や美術館だけに納まるものではない。芸術は、創造力や批判力、あるいは他者との交流や共感する力を育む高い潜在力を持っており、市民の主体的な「学び」を引き出す魅力的なインセンティブともいえる。應典院ではしばしば芸術のワークショップを催すが、そこでは世代や立場、価値観の違いなど異質なものが出会い、対話を重ねながら、共通のつながりを見出していく。出来上がった作品価値よりも、そのプロセスから生まれる関係性や場を「学んで」ゆくのである。
 應典院で2003年11月より03年3月まで開催の長期セミナー「OSAKAアート・コミュニティ・プロジェクト」も、芸術による地域創造を目的としているが、最終的にはその受講者の中からNPOやコミュニティビジネスといった、新しい地域の担い手を育成することを目論んでいる。全体を3期に分けて、1期ではプロの芸術家によるワークショップ体験などがあり、2期では、芸術をテーマに働く人々を現場に訪ね、3期目に少人数の合宿やセミナーを通して「芸術と仕事」について徹底的に議論しあう。創造的な感性を教育や福祉に活かすことも可能だろう。あるいは、センスを活かして、カフェや雑貨店などを起業することも考えられる。ここでは、芸術とは、展示や上演される作品ではなく、これからの地域を市民の視線からとらえなおし、そこで仕事を創造しながら生きることの価値としてとらえられている。
 むろん、異質性との出会いは、地域の中だけにとどまらない。文化行政の視点から、まちをとらえると、ハコモノ以上に不足しているものがたくさん見えてくるはずだ。また、まちに開かれた大学が、文化経済や公共政策といった研究を通して、民学協働のフィールドを作り上げていくことも可能だろう。
 これまで地域の発展は、成長志向の物差しで測られてきた。しかし、成長至上主義には限界がある。スローライフの時代、人々は自分の生活をより深く創造的に楽しむことを欲求しはじめたのではないか。その意味からも、数値だけでは見えない「人と人のかかわり」や「まちの多様性」こそ、これからの地域の魅力の源泉となるものだろう。芸術によるまちづくりは、その地域固有のすぐれた人材を育てる、揺籃の役割を担っているのである。

1、上町台地からまちを考える
 應典院はひとつの拠点だが、いま近隣のまちづくりと協働した、地域全体をつないだ新たなNPO「上町台地からまちを考える会」(以後考える会と略)の活動が立ち上がりつつある(03年5月発会)。
 上町台地はまた都心の居住エリアとして知られるが、同時に文化的な資源と人材に恵まれた地域でもある。大阪の中心部でありながら、四天王寺や大阪城といった歴史資源、また学校や病院、文化施設などの生活拠点が集積しており、キタやミナミにはない、もうひとつの都心の魅力として人気が高い。考える会は、この上町台地周辺の3つの地域NPO、すなわち、350年の歴史を保つ寺町地区の應典院、前述した空堀地区のからほり倶楽部、そして在日のまちとして知られるコリアタウンの在日韓国民主人権協議会を中心にネットワークされた、まちづくりプラットフォームである。自転車圏内に3つの個性の異なるまちがあり、それぞれ自立したNPOが拠点化されており、住民組織とも連携しながら、同心円的に活動領域を拡張していく。固有性に富んだ3つの地域がつながることで生み出されるメリットは小さくない。
 中でも、考える会がもっとも力を入れているのが、上町台地全体に「学び」の共同体を作り上げることである。「世代間交流」「共生」「新旧融合」などをキーワードとしながら、枠組みも、講師も、場も趣向を凝らし、地域資源とその資源を有する人々とのつながりを形にしていく。すでに、プレ事業として、「コリアタウン異文化体験会」や「上町台地音風景図鑑・冬のキャンペーン」などを実施している。
 都心の恵まれた居住地区として、上町台地の人気は根強いが、現状のようなマンション開発が今後も続けば、逆に周辺コミュニティの質は低下してゆくことになる。利便性や機能性だけが都心居住の価値ではないはずであって、逆に言えば、今こそ上町台地で生活する意味、住みごたえや暮らしがいを地域全体で創出していくことが肝要なのはないか。そしてそこに住む一人一人が、居住を通して、自分たちの生活や生き方を、あるいは子どもたち次世代の幸福を考えるだいじな契機として作り出してゆく。ここでも住み手たちが「学び」ながら編み出す「市民知」が、きわめて重視されているのである。

1.コミュニティ・エンパワーメントの時代
 いま日本中の都市が、未曾有の少子高齢化社会を迎えつつあるが、同時に地域が高齢者や子どもの持つ「弱さ」と本気で向き合わなくてはならない時代でもある。「弱さ」とはけっして無力なものではなく、そこを起点にしながら、まちと暮らしを考え直すことで、コミュニティにいま何が欠いているのか、ということを解き明かす契機ともなろう。言い換えれば、我々は「弱さ」から何を学び、何を創造することができるのか、これまでの経済活性化、景気回復一辺倒のまちづくりとは異なる、やわらかな視座が求められている。
 またまちには、本来潜在する力がある。まだ掘り起こすことができる、という可能性からまちの資源力といってもいいだろう。その資源力は、かたちのあるものだけとは限らない。まちへの愛着や誇り、信頼など長年時間をかけて育んできた人と人の関係性も、地域固有の立派な資源といえる。他の何物にも代え難い、ヒューマン・キャピタル(人材の関係資本)がそれだ。
 これからの都市計画は、従前のハードの計画本位ではなく、「市民知」による都市の創造にこそ、視座を転換すべきだろう。「弱さ」を自覚的にとらえ、助け合う互恵的な人的ネットワークを基盤として、そこにNPO、コミュニティビジネスなどを統合した、新たな社会システムがこれからの都市のOSとなっていく。また、「市民知」は、地域に開かれた大学の参画も得て、いっそうの民学協働が推し進められるに違いない。
 都市はどの専門家のものでもなく、市民のものである。コミュニティ・エンパワーメントの時代は目前に迫っている。



【仏教福祉】
都市の中のもう一つの癒しの場 ーコミュニティと寺院の関係を再考するー
(日本仏教社会福祉学会「年報」2003年9月刊)

【芸術と社会
市民社会と芸術
(大阪ボランティア協会「Volo」2003年11月号)

【まちづくり】
市民による教育と学習 ー芸術による市民知の創造ー
(日本都市計画学会「都市計画」2004年2月号)

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