空気を「読む」のではなく「書く」

ある時から、人と人との関わりでは「空気を読む」ことが特に大事であるとされるようになりました。とりわけ平成19年の参議院普通選挙で大敗したにもかかわらず、政権の座に就き続けた総理大臣を揶揄したことで、よく知られています。本稿では、まさに当時の首相が再び政権に就いている今、この「空気を読む」ということについて考えてみることにします。なお、考えるにあたって、平成21年から應典院で開催されている「グリーフタイム」という取り組みから紐解いていきます。
 

グリーフタイム「グリーフタイム」とは、あまり聞きなじみがない言葉かもしれません。そこでまず、この言葉を「グリーフ」と「タイム」の2つに切り分けてみましょう。まず、グリーフ(grief)とは、英語で「悲嘆」や「悲しみ」の意味で、特に何かを喪失したことに対する悲しみを指します。そしてタイム(time)はよく知られているとおり、英語で「時間」という意味です。
グリーフタイムとは、そこに足を運ぶ方にとっての喪失感に向き合う時間です。平成21年以来、奇数月の第4土曜日の午後に開催され続けています。担い手となっているのは、若手の臨床心理士たちです。昭和63年に生まれた「臨床心理士」という資格は、平成7年の阪神・淡路大震災以降、特に学校に配置され一般には「スクールカウンセラー」という仕事をする際に必要な資格として広く認知されてきました。
このように、悲しみに向き合うための時間が専門家によって用意されていると聞くと、その痛ましい気持ちを互いに分かち合える場と思うかもしれません。ましてやお寺の開催です。場合によっては宗教的な視点からも相談に乗ってくれると考える方もおられるでしょう。しかし、應典院でのグリーフタイムは「私が私を見つめる」、そんな雰囲気の中に浸る場となっています。

 
「浸る」ことで高まる「読み書き」の力

「グリーフタイム」の世話人を担っている佐脇亜衣さんによれば、應典院での取り組みでは「心をほぐす場」を重視しているとのことです。なぜなら、喪失感に苦しむ人たちは、逆にその悲嘆の源流にある悲しみを無理矢理忘れよう、誤魔化そう、そういう傾向に陥るためだと言います。失った人や物は取り戻せないかもしれないからこそ、これからを見据えるために、これまでをきちんと見つめよう、と、「グリーフタイム」では専門家との対話よりも、専門家が見つめる場で、自分と対話する時間が提供されています。そう、「悲しみの為の時間」ではなく「悲しみの溜めの時間」が生み出されているのです。
長らく関西の学校に勤めてきた佐脇さんは、この春から鳥取市に移られました。それでも、應典院の「グリーフタイム」は続けられるそうです。そこには、さしずめ「空気を読む」ことばかり強要され、自分の感情を押し殺して生きる人たちの苦しみや、悲しみを押さえ込まなければならない悲しみに、なんとか寄り添いたいという願いがあるように思います。他人のために空気を「読む」だけでなく、自分も含めて良い雰囲気を「書く」、そんな風に、気持ちを押し殺さず「雰囲気をつくる」ためのレッスンの機会こそ、「グリーフタイム」です。

(初出:大蓮寺だより2013年5月号)

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應典院主幹、應典院寺町倶楽部事務局長

山口 洋典