〈映画評〉テロリストの人間性。「禁じられた歌声」

映画「禁じられた歌声」のフランスでの公開は2014年の暮れ。7部門を制覇したセザール賞の受賞式が翌年2月だから、1月のシャルリ・エブドのテロ事件発生直後にフランス人の喝采を浴びたことになる。そして11月の同時多発テロ。今、この映画はどのように評価されるのだろうか。

イスラム過激派に占拠された、アフリカ・マリの古都ティンブクトゥが舞台である。近郊の街で暮らす音楽好きのキダーンは、妻や娘、羊飼いの少年とともにつましくも幸せな暮らしを過ごしていた。ある日、イスラム過激派が街を占拠し、音楽もタバコもサッカーも禁じられてしまう。気丈な住人たちの抵抗もあるが、徐々に圧迫されていき、危機を覚えたキダーンも避難する。しかし、ある事件がきっかけとなり、彼は過激派に捕われ、死刑を宣告されてしまう…。

静かな映画である。気勢を上げるテロ集団とか派手な銃撃戦は一切登場しない。逆に人々の長閑な暮らしぶりが丁寧に描かれ、それが次第にイスラム過激派に侵されていく過程は物々しくもあり、悲痛感を際立たせる。イスラム教の導師が諄々と諭す一方で、過激派にも彼らなりの道理がある。特異な点は、扇情的に暴虐や殺戮を描くのではなく、矛盾や対立、不和や憎悪といった双方の感情を掬い取っているところだ。サッカーの話題で盛り上がったり、隠れてタバコを吸ったり、テロリストにも人間の顔がある。 

アブデラマン・シサコ監督は、こう述べている。「(映画では)過ちを犯すことのある人間が、奥深いところで自分自身に問いかける、人間の二重性を表現しています。彼ら(過激派)も一面では貧困と不正の犠牲者なのです」 

監督はモーリタニアに生まれ、マリで育ち、ロシアで映画を学び、フランスで二十年暮らす、生粋のイスラム教徒だ。その多文化性ゆえか、多様な人間へのまなざしは、本作を、排除や抑圧を描きながらも他者への敬意と人間への信頼に裏打ちされたものとしている。

(2014年・フランス・モーリタニア合作)

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大蓮寺住職、應典院代表

秋田 光彦

1955年大阪市生まれ。

明治大学文学部演劇学科卒業後、東京の情報誌「ぴあ」に入社し、主に映画祭の企画・宣伝を担当。退社後、映画制作会社を設立、1997年に劇場型寺院應典院を再建。

以後10数年間にわたって、市民、コミュニティ、地域資源のあり方を具体的に提案し、実践し、市民活動や若者の芸術活動を支援してきた。また、人生の末期を支援するエンディングサポートをNPOと協働して取り組むなど、「協働」と「対話」の新しい地域教育にかかわる。パドマ幼稚園園長、総合幼児教育研究会代表理事、相愛大学客員教授など兼務。まちづくりからコミュニティシネマまで活動範囲は幅広い。