地獄・極楽はいかに生まれたか。源信が描いた日本の死生観。

(2017年10月11日 更新)

夏の終わり、奈良国立博物館で開催されていた「源信〜地獄・極楽への扉」展を観に行きました。平安時代の僧・恵心僧都源信は、日本浄土教の始祖であり、有名な「往生要集」を著したことで知られる名僧です。死の恐怖におののく人々が死後、阿弥陀仏によって救済されるという教えにどれほど救われたことでしょう。
 
展覧会は、源信の足跡をたどりつつ、地獄絵、来迎図などの名品によって、浄土仏教の死後の世界観を一望するもので、その細密で極彩色の描写は、ゆたかな死後のイメージを表して圧巻でした。源信の功績とは、それまで封印されてきた地獄・極楽の世界を、絢爛たるイメージとして描出したことに他なりません。当時、いかに憧憬と畏怖を招いたか。現代に連綿とする日本人の死生観の基層は、この僧によって描き起こされたといってよいと思います。
 
そういう豊穣の死生観が、いま急速に痩せ衰えているように思います。死生観とは「死生に対する考え方あるいは人生観」の意ですので、むろん統一見解があるわけではない。時代によって変化はあれど、現代に果たして死生観らしきものがあるでしょうか。溢れ出る情報は全て消費やサービスを喚起するものばかりで、ただ便利さや安さだけを求めているように見えます。考えようとしていないのです。

源信の時代から千年以上、日本人の死生観は歴史の中で育まれてきました。しかし空前の多死社会を迎える現代、医療と福祉に頼るばかりで、それは置き去りにされたままです。

源信が描いたイメージは美術品ではありません。それがどう現代の死生観として結実するのか、私たちはいま一度「信心」の意味を問わなくてはならないと考えさせられました。